渡部昇一さんの子どもの頃の愛読書は、「三国志」(演義のほうですね)や冒険活劇小説だったそうです。
「三国志」は血沸き肉躍るたのしい史劇ですし、多彩な登場人物が楽しいですし、漢籍の知識も手に入るし、まさに読書の楽しみをぞんぶんに味合わせてくれる一冊です。
読書の原点が「三国志」というのは、ブログ主も同じなので、まずそこから共感しました。
「三国志」に読書好きの土台を作ってもらえたのは、幸せなことでした。
やがて成長した渡部昇一さんは、夏目漱石の本を読むことになるのですが、これが最初はピンとこなかったという。
ところが、東京に馴染んできて、漱石の実際に暮らしただろう生活が「わかった」ことで漱石の著作群も「わかった」という体験をします。
なるほど、いまは「合わない」「読むのが難しい」本も、なにかのタイミングで読める時が来るかもしれない、という希望をもらえました。
たしかに、歴史書をひととおり読んだあと、その時代に関連する小説を読むと、あ、なるほど、そういう時代の雰囲気を受けて書かれたのか、と腑に落ちることがあります。
それが「わかる」ということなのですね。
小さいエピソードですが、時代小説を愛好されていた渡部昇一さん、年をとるにつれ、たくさん再読していた時代小説が少しずつ減り、最後には岡本綺堂の「半七捕物帳」が残った、ということです。
それを読んでも、「あー、わかる、わかるわー」と共感しました。
「半七捕物帳」こそ時代小説の至高! と信じてやまない一匹がここにもいます。
といいますか、やはり自分の知的レベルが上がったり下がったりするのに合わせて、面白いと思える本も変わっていくものなのですな。
この「知的生活の方法」には、氏の読書遍歴だけではなく、知的生活を営むための空間づくりのノウハウも掲載されています。
さすがに、時代を感じさせる記述もありますが、いま読んでもなるほどな、と思うことが多いです。
欧米には日本のようにじめじめした夏がない。
クーラーが普及していなかった昔は、ばてやすい夏は勉学なんて二の次になってしまっていた=夏があるぶんだけ欧米人に勉学で後れを取っていた。
そこで負けてはなるものかと、クーラーを書斎にいれたら快適で……というエピソード、ほんとうにそのとおりですよね。
ブログ主も今年は部屋のクーラーが壊れまして、寝室兼書斎でなあんにもできませんでしたもの、暑くて。
知的生活を送るためには、心地よく、静かで、なおかつ手元にすぐ資料を置ける環境が望ましいとのこと。
図書館との付き合い方(なんと、教員時代に図書館に住んでいたという話! うらやましい)や、読書カードの作り方、気になった情報をカードにして管理する方法や、そのいい面・悪い面なども惜しみなく書いてあります。
カードはたしかに面倒くさそうですねえ、始めたら楽しいかもしれませんが。
集めた情報をいつ整理するのかにも悩みそうな感じ。
そのあたりの利益・不利益についても書いてあります。
でもって、知的生活=書斎の虫、ではダメ、ということもはっきり書かれています。
哲学者カントを引き合いに、他者と活発な議論をして知的刺激を受けること、それから、毎日、散歩に出かけて脳の活性化をはかるといい、と書かれています。
ネットで議論しているだけじゃダメなんでしょうねえ、きっと。
相手の顔の表情や、言葉以外のニュアンスを汲んで、ああだこうだ、と議論するのはたしかに脳をフルに使います。
まとめ
渡部昇一さん自身の面白いエピソードも織り交ぜて、わかりやすく「知的生活を営むにはどうしたらよいか」を活写した良作です。
本を読もう、知識を得たら実践しよう、ということを勧める本が多くて、まさにそのとおりなんですが、さらにそこから、「どう読んだ本を血肉にするか」、生活にまで踏み込んで書かれている本です。
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