2021年6月26日土曜日

漫画版 風の谷のナウシカ 宮崎駿 その2

 漫画版の魅力・優れた戦記ものとして~3巻までだけでも見て!


映画版のナウシカは漫画版の2巻途中までのエッセンスを分かりやすくまとめたもの、といってしまって過言ではないでしょう。

漫画版のナウシカは、じつに戦争の悲惨さを余すところなく書いた漫画となっていまして、同時に戦争を起こす人間の愚かさも容赦なく描かれています。

王蟲の群れと別れたあと、ナウシカはトルメキアの皇女クシャナの船にたったひとりで同乗し、戦場へ向かっていきます。

クシャナは漫画版においては王者の風格を持つ優秀な司令官でして、義兄である皇子や実父のヴ王に裏切られていると知りながらも、なぜか命令を忠実に守って最前線へ向かおうとする。

その本心を喝破した参謀のクロトワは、ヴ王の密命を受けていたことを白状し、クシャナに仕えることを約束します。

クロトワは映画版だと野心家のマキャベリストで、クシャナがいなくなったとたんに自分が前に出ようと画策する、でもどこか憎めない男でした。

漫画版だと、もちろんどこかユーモラスなのですが、もっと陰影の濃い人物として描かれています。

なにせ味方を撃ち殺すことすらためらいのない男(しかも機関銃で)。

死地にあるクシャナを助けるためとはいえ……でもって、映画版では明示されていませんが、漫画版ではクロトワは裏切りの対象であるクシャナに惚れてしまっているという設定。

ナウシカとクシャナたちを乗せた船は、やがて土鬼との戦いの真っただ中へ向かうことになります。

そして、クシャナは自らが育て上げた部下たちと再会。

疲弊していた兵たちは、クシャナの帰還により生気を取り戻し、土鬼への反撃をはじめます。

と、そこから3巻のラストまでが圧巻の戦闘シーンの連続。

はじめて読んだときはめちゃくちゃ興奮したのをおぼえています。

すげえ、宮崎駿! とすっかり惚れこんでしまったのでした。

とはいえ、宮崎駿氏からは、戦争好きなの、と冷たく言われてしまいそうですが……

でも面白いんですよ、この3巻は。

人を高揚させるという側面も持つからこそ戦争は危険だ、ということを言いたい漫画ではない、戦場をすさまじい想像力で描いた漫画です。


漫画版の魅力・ギラギラと輝く凶悪皇帝ナムリス


漫画版は4巻から土鬼に舞台を移していきます。

そこからは、未読の方のため内容に触れることは控えさせていただきます。

だんだんと土鬼帝国の闇があきらかになっていく過程は……はっきりいってグロテスク!

初めて読んだときは、なんだか得体のしれない連中だな、と薄気味悪く思いました。

とくに、皇帝ナムリスの闇の深さ。

宮崎駿氏は悪役を描かせたら本当にうまいです。

というか、善玉より悪玉に魅力を感じているのではないかと邪推してしまうほど、かれらは生き生きと描かれています。

ナウシカはたしかにヒロインなのですが、その役どころは軍の中心にいて旗を振るジャンヌ・ダルク的なものではなく(それはクシャナの役割)、人とふれあって、その人を感化し、動かしていく、というもの。

なので、ナウシカに感情移入できるか、というと、意外とそうでもない。

漫画版ではナウシカと母親の関係の悲しいエピソードも出てくるのですが、それでナウシカに親近感を持てるかというと、それでもまだ距離感があるというか。

この漫画のすごいところは、ナウシカ自身も、そういう俗世から乖離していく自分をわかっているところでしょうか。

ナウシカの自分への厳しさが際立つほど、同時に悪役の中の悪役、ナムリスも異様な輝きを見せます。

どんな役回りかは、ぜひ漫画版でお確かめください。

ナムリスは、三国志でいうと董卓というより孫晧ですな。


まだ続きが読みたかった……


どこかのアニメージュのインタビュー記事で、宮崎駿氏は、

「漫画版は土鬼からトルメキアに行って、それから風の谷に帰る」

ということを言っていた記憶があるのですよねえ。

引越ししたさいに、アニメージュをまとめて処分してしまったので、違う媒体かもしれませんが。

何度もアニメ制作のために漫画版の連載は中断されているので、その都度、構想が変わった可能性はあります。

というか、見たかったですねえ、漫画の完全形。

いちおう、いまの漫画版もきれいに終わるのですが、ナウシカたちがどういう人生をその後送っていくのか?

あとはだいたい想像がつくでしょう、ということで終わったけれど、しかし! 見たかったなあ、ほんとうにどうなっていくのか、その行く末を。

未完のままになるよりは、はるかにいいじゃないか、とは思うので、贅沢な要望ですね。

2021年6月8日火曜日

漫画版 風の谷のナウシカ 宮崎駿 その1


 アニメ版と漫画版のちがい


漫画版 風の谷のナウシカ!

漫画版は、歌舞伎にもなりましたね。

TV放映もされたので、ご覧になった方も多いのでは。

それで、びっくりされた向きもいらっしゃるのではないでしょうか。

よくアニメ版は漫画版の一部に過ぎない、という言い方をされますが、ちがいます。

アニメ版は、漫画版の世界観を単純化して、ストーリーもわかりやすく作ってあるのです。

似て非なるもの、といっても過言ではない。

しかも漫画版は、大自然の復讐者としてあらわれる王蟲VS生き残った人類、という話では「ない」のです。

王蟲ですら、漫画版では重要だけれど脇役に過ぎない。

しかも漫画版の王蟲、しゃべる!

アニメ版と漫画版、どっちが好き、と問われたら、迷いなく漫画版、と答えます。

これを超える漫画は、そうそうありません。


ただし、漫画版は異質な雰囲気が最初から漂っており、あまりふだん漫画を読まない人には戸惑いのほうが強く感じられるもののようです。

学研の学習まんがしか読まない父が、めずらしくナウシカを読みたいと言ったので、貸したところたったの1巻で挫折しました。

読み方がわからない、といっていました。

かくいうわたしも、1巻を買ったときは、アニメ版との違いや世界観への理解が追い付かないことなどに戸惑って、

「面白いのかなあ?」

と思ってしまったクチ。

アニメ版を見てしまうと、物語が綺麗に終わっているので、漫画版い違和感を覚えます。

が、それも最初だけ。

2巻から、だんだん状況が理解できてきて、おいおい、こりゃすごいぞ、となってくる。

ちなみに、アニメ版は、2巻の途中までのエピソードをうまく抽出して、風の谷VSトルメキアの争い、というふうに変えてあります。

そう、漫画版ではトルメキアは「侵略者」でも「敵」でもないのです。

どういうことなのやら? 

数回に分けてお届けすることになりますが、漫画版の魅力をば、ご紹介。


漫画版の魅力 その1・三つ巴の戦い! 三国志じゃん?


人類が世界大戦を経験たことで大地が汚染され、そのあとに腐海ができてしまう。

腐海には独自の生態系ができていて、その頂点に位置するのが王蟲。

そして、腐海では耐えなく噴出される毒のため、人類はマスクなしに呼吸をすることができない。

じわじわと拡大をつづけている腐海に人類は呑み込まれようとしていた。

それでもなお、残された清浄の地をめぐって、人類は愚かしくも、まだ争いをつづけている……というのが、漫画版の大前提。


風の谷は、人口500名ほどの小さな国で、周辺にはおなじく小さな国々が存在しています。

かれらはそれぞれ独立していますが、東の大国トルメキアには従属している、という立場。

そして、トルメキアは、西にある大国・土鬼(ドルク)とは不倶戴天の敵同士。

(アニメ版には土鬼のドの字も出てこないので、まずここで混乱しがち)

漫画版がスタートする時点では、トルメキアのヴ王が、土鬼に戦争を仕掛けたので、ナウシカも戦役につかねばならなくなるという状況です。

しかも不穏なことに、トルメキアとは友好関係にあったペジテが、トルメキアに急襲され滅亡する、という事件も発生!

それにはどうやら、古の最凶兵器・巨神兵が絡んでいるらしく……


とまあ、ややこしいですが、トルメキアと風の谷を含む辺境の国々と、土鬼、つまり、この世界は三つ巴の三国志状態なのです。

1巻の時点では、トルメキアのヴ王には四人の子供がいて、そのうち三人の皇子が前線にいて戦っており、第四皇女のクシャナがペジテを襲ったことが明らかになっています。

ナウシカは、父が腐海の毒に侵されてまい寝たきりなので、クシャナの軍に合流するために風の谷を出ます。

クシャナとも、戦場で邂逅するよりまえに、ペジテの船をめぐってひと悶着あるのですが、それもまた、漫画版とアニメ版とではだいぶ異なる描き方がされています。

優しく、猛々しく、その中に人間らしい残酷さもじつは秘めているナウシカ。

ナウシカは、淡々と自らの運命を受け入れ、責務を果たそうとします。

ところが! と話はどんどん思わぬ方向へ転がっていきます。

もちろん、ここでそのネタバレはしません。

読んだほうが、はるかに早い! 未見の方はぜひ読んでみてくださいませね。


なんと「その2」につづく……

語っても、語りつくすということがない、おそるべしナウシカの世界!


2021年6月7日月曜日

STEINS;GATE 蝶翼のダイバージェンス:Reverse 5pb.×ニトロプラス 三輪清宗

容赦なきシュタゲの世界


もしもコロナに罹患したら、病床で何を思うだろう?

そう想像したとき、

「たぶん、シュタインズ・ゲートをクリアしなかったことを後悔するだろうな」

と思い、奮起して全クリをしたゲームのノベライズ版です。

奮起しなければならなかったのは、このゲーム、とことん容赦のない展開の連続で、チキンにはつらい。

しかし、主人公の岡部倫太郎ことオカリンが頑張っているので、そうだ、負けちゃいけないんだ、と自分を励ましてなんとか先に進んでいました。


よく、エンタメのセオリーとして、主人公にラクをさせちゃいけない、というのがあります。

これはそのセオリーを見事に活かしている好例で、これほど次から次へと! という怒涛の展開を見せる物語は、なかなか少ないように感じます。

それがしかも、わざとらしくないんですよ。

伏線の張り方も見事なら、キャラクター造形も(変わり者だらけだけど)いい。

しかもすさまじい緊張感で、思いもかけないところへ連れていかれる快感もある。

それがラストまでつづくのだから、見事としか言いようがありません。


 ヒロイン・牧瀬紅莉栖の物語


今回の小説版は、ヒロインの牧瀬紅莉栖の視点で展開します。

ただ、万人におすすめできないのは、しょっぱなゲーム&アニメ版の重要なネタバレがあること。

しかし、ゲーム&アニメをすでにプレイ&視聴した、という方なら、とっても楽しめる小説です。

まちがっても、こっちから読んではいけません……!

ほんとうに、お願いしたくなるレベル。

ゲームから入るか、アニメから入るかして、すべてクリアする、あるいは視聴したあと、小説を読むべし!

ちなみに、牧瀬紅莉栖は弱冠18歳にしてサイエンス誌に論文が掲載されたという天才少女。

とはいえ、鼻持ちならない才女というわけではなく、いろいろとお茶目なところのある女の子です。

ある意味、健気な女の子でもある。

秋葉原という街が舞台のこの物語のヒロインにふさわしい少女でして、オカリンを助けて行動していくその頼もしさたるや。


小説ならではのよさ


この小説では、紅莉栖の心情が丹念に表現されていて、面白いんですよ。

あ、このシーンで紅莉栖はこう思っていたのだな、という発見があったり、

意外に早くに岡部のことを見抜いていたのだな、とおどろいたり、

まゆりやダルについても、かなり肯定的に観察していたのだな、とわかったり、

ともかくすべてが新鮮。

すでに物語を知っているはずのシュタインズ・ゲートを、あらたに発見している感じです。

まだ1巻目。全7巻あるという、うれしさよ!

じっくり読みます♪

2021年6月6日日曜日

アラフィフからのインプットとアウトプット術 瀬田かおる

実践的でためになる!


非常に親しみやすいうえに、読みやすい。

インプットとアウトプットのそれぞれのノウハウを紹介する本は、ちまたに山ほどありますが、この本は実践的で、なにより、かなりいい意味で一般的。

生活に余裕が出てきたので勉強をし直したいアラフィフの主婦の方だけではなく、勉強を楽しく進めたい全年齢の男女に通用するテクニックがいっぱい詰まったお得な本です。

本を読む習慣があまりない人でも、サクサク読めて、ためになる。

1時間くらいで読めますよ。

 Amazonで読める電子書籍のなかの一冊です(Amazon Unlimitedだと0円で読める!)。


作者のプロフィールが親しみやすい


アラフィフの主婦で、働きながらNoteやツイッターで情報発信をしている方です。

そして、向学心が強く、さいきんになって通信制の短大を卒業されたとか。

地方在住だというところも親しみやすさのポイントです。

やはり、まだまだ首都圏優位な文化がありますから、そのなかでも、ネットの力とインプットとアウトプットの工夫で、これだけ発信できる、というのを表現してらっしゃいます。

もちろん、ご本人はそうとうにマメで努力家のようです。


おすすめポイント!


読んだ端から、本の内容を忘れる人にこそ、この本は効きます。

忘れる人……それは、わたしです。

瀬田さんも同じだったようで、以前はたくさんの読書量にもかかわらず、一番の本を挙げよといわれても、その本の詳しい内容などは思い出せなかったそう。

どうしたらいいか?

さまざまな方法が(ほんとうにいろいろ)書いてありますが、なかでもすごくいいな、と思ったのが、読んだ本を図解して復習する、というところです。

やってみるとわかりますが、図解で本を自分なりに再構成すると、もうばっちり内容が頭に入ります。

もちろん、本の種類によっては図解が難しいものもありますが(小説やエッセイなど)、ビジネス書や自己啓発本などの実用書の理解にはもってこい。

これ、早く知りたかったなあ。

読んだ瞬間、「これですよ!」と思って、真似しています。

遠回りに見える道が、いちばん近道だった、という感じです。

ただし、わたしの場合は、紙にメモで内容をまとめて、あとで清書する、という方法をとりました。

メモも、字が汚くてもなんでも、あとでわかればいいそうです。

そのあたり、実践のハードルが下がりますよね。


5年日記をつけている、というところも素敵だな、と思いました。

後で自分が何をしていたか振り返ることができますし、一日の要約をすることで、文章力も上がりそうです。

さっそく、わたしも日記帳を買うことにしました。

といっても、予算の都合で3年日記になりそう;

それでも、継続は力なり、ですよね。


ポジティブなパワーをもらえる


学ぶことについてのノウハウや体験談が書かれているのですが、どれも「特別」すぎないエピソードで、

「わたしも頑張ってみようかな」

と思わせてくれます。

読了後は、ワクワクして、いくつか実践したくなっているはずです。

ほんとうに、

「やるな、おぬし!」

という感想。

さまざまなアイデアやテクニックが掲載されているうえ、読みやすくて、ためになる。

このレビューも、まとめたメモをもとに書きました♪

2021年6月5日土曜日

クリエイティブ・スイッチ 企画力を解き放つ天才の習慣 アレン・ガネット

ずばり、成功するためのコツ


結論から書きましょう。
この本には、世界中のヒットメーカーが知る「パターン」が書かれています。
どうしたら、自作をヒットさせられるのか、コツがあるのです。
それは、
〇 大量消費
〇 模倣
〇 コミュニティを作る
〇 フィードバックをもらう
ということ。
最重要なのが、
「誰のために作っているのか、常に考える」
ということ。
天才の作るものだからヒットするのではなく、天才と呼ばれる人は、つねに
「人のニーズにこたえようとしている」
ので、作品がヒットするのです。

その詳しい内容は、本書をじっくり読んでお確かめください。
千葉敏生さんの翻訳は、軽妙で、とっても読みやすいです。
え? 詳しく書いてくれないの? 不親切だな! と思うなかれ。
書いちゃうと、著作権侵害になっちゃいますもん。


孤高の天才は存在するのか?


以前、ネット上で、
「ひきこもり生活を送っている者ですが、だれとも接触せずに仕事をしたいと思います。比較的、個人でできる仕事と言ったら小説家でしょうか。がんばって小説家になってみたいです」
という記述を読んだことがあります。
小説家になることはできるでしょう。
ただし、その作品が面白かったとしても、このひとが引きこもっている限りは、ヒットはないでしょう。

ヒットする作品を生み出す作家たちは、互いにフィードバックをもらえるいい仲間を持っています。
かれらの意見によく耳を傾けることで、自分が本格的に創作を始めてしまう前に、それがヒットするかどうか、見極められるようになっているのです。
まったく世間から孤絶して、筆一本で食べていける人は存在しない。
そのことが、本書でよーくわかります。

ヒットしなくてもいいから、小説を書きたい、というのなら、それはそれでいいことではないでしょうか。
ただし、それは誰にも読まれずに埋もれていくのです。
悲しいと思い奮起するか、あるいは、それでよしと達観するか。

ともかく、「孤高の天才」はいたとしても、おそらく世間的には認知されないのです。


「ひらめき」の嘘


ちなみに、モーツァルトが推敲せずに、一気に作品を楽譜に書きつけていた、というのは後世の出版社がでっちあげた嘘です。
モーツァルトは一般のわれわれのように、ひとつの作品をつくるため、悩みに悩んで、そのすえにあの美しい旋律を生み出していました。
作曲するため、ほかの音楽家と共同作業もしていたそうです。
「アマデウス」で有名なサリエリとも、友好関係でした。
息子をサリエリに預けて音楽教育をしてもらっていたとか。

じゃあ、「ひらめき」ってなんなの?
というところですが、そこが、本書で言うところの「大量消費」=膨大な蓄積。
音楽家なら大量の音楽を聴いてきたこと。
作家なら、膨大な数の書籍を読んできたこと。
そのために、大量のアイデアが浮かぶのです。

要するに、ある日とつぜん、ほとんど本を読んだことのない人が、「書きたいな」と思って筆を執っても、それまでの蓄積がないかぎりは、天才的な作品を生み出せない、ということです。
古関裕而氏の生家は裕福な商家で、当時としてはめずらしい蓄音機で、かれは、幼いころから多くの音楽を聴いてきました。
村上春樹氏は、学校の図書室の本をほとんど読みつくしていたそう(J・K・ローリング氏も似たような話アリ)。
これらは偶然ではなく、だからこそ、かれらは作品を生み出せるのです。

でもって、成功するためには、いいパートナーの存在は欠かせません。
いいフィードバックをもらえるからで、村上春樹氏の場合は、奥さんでしょうね。
いつも作品を発表する前に意見をもらっていると、エッセイで書いていましたから。

要するに、コツコツがんばれ!


このクリエイティブ・スイッチは、
「自分は天才じゃないから」
とあきらめがちな人に、喝を入れてくれる本です。
コツを知らなかったから、成功しないのだ、ということがはっきりわかる。
そして、そのコツを応用するには、いい仲間を作る=人間力を磨く、ということも大切なのでしょう。

それから、大量消費というのが大前提なので、コツコツがんばるのがいちばん。
自分がこれから作るものが、世間のニーズのどのあたりに位置するか、ということがわからないと、成功もおぼつきません。
大量消費することで、自分の立ち位置もわかってきます。
才能さえあればなんとかなる、と世間からずれた突飛なものばかり作っていても、ダメ。

非常に耳の痛い話が多く、自分の場合は、人間力を磨き、引っ込み思案をなんとかしないといけないなと思いました。
全創作者、必読の本です。

2021年6月4日金曜日

ベストセラー小説の書き方 ディーン・R・クーンツ 

 小説を、それもエンタメ小説を書きたい、という人が目の前にいたら、まずおすすめするだろう、この本。


タイトルが、ちょっと恥ずかしい。

「ベストセラー小説の書き方」です。

最近、もっと直截的なタイトルの本が出ているけれども。

しかし、人に「これ読んだんだー」といえるかというと、顔色を窺いがちなわたしにとっては、

「へー、ベストセラー小説を書きたいのか、誇大妄想の気があるんじゃないの」

と思われるのが怖いので、言えない……


同じ理由で、とってもおすすめしたかったけれども、思いきれなくてブログに書けないでいました。

今回、大好きな本を一冊、ブログに残しておこうと思い、思い切って書いてみました。

1996年発行の古い本ですが、創作の原点は変わらない。

しかも、まだ各書店で購入できるという。

いかにこの本が愛されているかの証拠です。

 


クーンツ先生というと、怖ーいサスペンスやミステリーの名手で本物のベストセラー作家。

ところが本書はユーモアたっぷりに、しかも親切丁寧に、小説の書き方を教えてくれています。

古い本なので、情報もちょっと古いところがありますが、そこはそれ。

クーンツ先生の書いた本を実例に、創作の要所をきっちり教えてくれる。

どんなテクニックが書かれているのか、というのは割愛。

え、そこを知りたいんだけど? という方は、実際に購入して読むことをお勧めします。

抜粋して、こうだ、と箇条書きにしても、この本の面白さは伝わらないからです。



純文学を目指している方には、保坂和志さんの「書きあぐねている人のための小説入門」(中公文庫)を推します。

どちらの方向にするか迷っている、という方は、両方を読み比べると面白いです。

なにせ、書き方や方向性が全然違う。

ただ、両者が真摯に小説というものに向き合っているという姿勢は同じです。


クーンツ先生は述べます。

「死をくじくために小説を書くのだ」と。

要するに、自分が死んだ後でも、作品は生き続ける。

そういう意味で、死をくじけさせることができる。

うーん、かっこいい。

 


それでも、ちょっとだけでも書き方を知りたいな、という方に本書のエッセンスの一部をお教えすると……

プロット

人物描写

テーマ

アクション

ムード

人目を引くイメージ

気のきいた文章

背景

これらが渾然一体となって魅力的なストーリーができあがる、とあります。

その細かい説明は、やっぱり本書を読んでほしい。損はしないです。


 

それから、こんな面白アドバイスも。

『「信憑性のある登場人物をつくり出す」

→ヒロインが美貌の女優、画家、エンジニア

コンピュータ技師、医者、弁護士だとしたら

鼻先ににきびをつけるくらいはして

人間味を加える必要があるとは思いませんか?』


まさに!

これにうなずけない人は、なかなかいないとは思うのです。

人の書いたものだと、

「こんなやつはいない」

と断じることができる。

でも書く側にまわったとたん、やりがちなんですよねえ。

願望を託しすぎたパーフェクト人間。

自分でも小説を書きますが、書いている人物が、あまりに瑕疵がないと気づいたときは、この文章を思い出すようにしています。



本書では、いかに面白い小説を書くかのコツが丁寧に、豊富に書かれています。

背景描写を丁寧にやれ、というエピソードも、なるほど、プロはそこまでやるのか、と驚くばかり。

京都が舞台の小説を書くために日本語を勉強したというエピソードには、びっくりしました。

さらに、自分の専門外の分野を調べる場合は、平易に書かれているので、児童書から攻めていけ、というのは非常に有用なアドバイスだと思います。

ほかにも、テクニックが満載。

この本まるまる素敵なアドバイスづくめなので、やっぱり、読んでもらったほうが早いですねー。

 


結論としては、「読んで、読んで、読みまくれ!」。

そして、読みまくった後は、本書の最初にもどって、書き始めるのです。

で、書きまくったあとは、また「読んで、読んで、読みまくれ!」。

スティーブン・キングも、「書くことについて」で、やっぱり、よい小説を書きたいなら、TVを見るのを楽しみにするより小説を読む時間をもとう、と書いていました。

読んでいるうちに、よい書き手にもなっていけるもの。

何度でも、くじけずに書いていけば、そのうちに、ベストセラーを書けるかも?


 

でも、その「くじけずに」ってところが問題なんだよ、という向きもありましょう。

何と本書は、スランプ克服法も紹介してる。

そのとっておきのひとつ。

それは、自分より下手だと思う作家の作品を読むこと!

この、ちょっぴり意地悪だけれど、世知に富んだアドバイス、めちゃくちゃ効きますよ。

(このアドバイスの本文は、もっとガツンとした文章で書かれていますが)

「こんなひどい作品でもやっていられるなら、自分だって」

と思って奮起したら、また書く。


何度でも、何度でも、励ましてくれる、クーンツ先生からの贈り物です。

女帝の手記 里中満智子

 里中満智子というと「天上の虹」が代表作ですが、こっちのほうがグサッと刺さるという意味で、とても個人的には重要な作品だと思います。

女帝・孝謙(称徳)天皇の生涯を描いた作品です。

女帝の目線から描いた、愛憎と権謀術数渦巻く古代の朝廷の人間模様。

と書くと、よくあるドロドロ史劇かな、と思われるかもしれませんが、ちょっとちがう。


この漫画の特異点。

それは、女帝が、藤原氏の期待を一身に背負っているがゆえに、女性として抑圧されている、という点。

強すぎる母・藤原光明子の厳しい監督のもと、ほかに皇室の男子がいるというのに、女性ながら皇太子として生きねばならない、その不自然さ。

感受性の強い女帝は、周囲の欺瞞にふりまわされます。

母・光明子が強すぎる一方で、父(聖徳天皇)は気が弱く、陰謀で殺害してしまった王族の祟りをおそれて、仏教にすがる。

聖徳天皇の弱さに失望したこと、藤原氏の力をバックに才覚をふるう美しい母の醜聞のうわさ(あくまでうわさ)などから、女帝は男性に対し、嫌悪感を持つようになる……


と書くと、なんだ、フェミニズム的な作品なのか、と思われますが、ちがうのです。

女帝の男性に対する嫌悪感というのが、これまためちゃくちゃリアルで、たとえば、男性くささを感じさせないインテリの家庭教師・吉備真備には心を許せる。

一方で、男性くささ全開の、陰謀家で権勢欲のかたまりの藤原仲麻呂には強い嫌悪をおぼえるのです。

が、しかし……と、ここからが、展開が激しくなっていきます。


仲麻呂は、客観的に見ると、悪いやつなんですが、女帝は母親へのコンプレックスと、自身の寂しさ、恐れ、悲しみ、苛立ち、そういったものに襲われて、どんどん傾倒していってしまう。

だめだよー、と読んでいると思うのですが、一方で、わかるなあ、その気持ち、と思ってしまう面もあり。

本作は、人の弱さを淡々とえぐっていきます。


途中で挟まれる、鏡を見ていて、ふと、しわやシミに気付き、自分が若くないと気づかされるエピソード、蝉が鳴く理由が繁殖相手を求めてのことと聞いて「くだらない」とつぶやくエピソードなどなど、すべてがグサッとくる。

光明子は女帝のすべてを見抜いており、死ぬ直前まで彼女を抑圧しつづけるのですが、その死後、さらなる波乱が起こる!

そう、道鏡の登場。

どうなる、女帝?!

 

人によるかもしれませんが、わたしはこの漫画を読んで、女帝とおなじく、「憑き物が落ちたようだ」と思いました。

男性観が変わります。

どういう心理状況だと、悪いやつだと知っていながらも、おぼれてしまうのか、そのあたりもよくわかります。

いや、おぼれたことないけれど……ただ、スケールこそちがいますが、ホストにハマる心理も似たようなものじゃないかと。はまったことないけれどね。

悪いやつは、悪いやつなんですよね、結局、自己中心的で、「わたしにだけ優しい」なんてことはない。

悪いやつほど魅力がある、なんてよく言いますけれど、そういうタイプは、人をだますことしか考えていないので、いくらでも魅力的な自分を演じられるのです。

それがわからず、振り回される女帝が、ふと現実に気付かされるシーンなどもあり、読んでいてため息が出ます。


ただ、救いもきちんとあって、後世では怪僧と言われてきてしまった道鏡が、そうではなく、というところが、ポイント高し。

しかし、大きなしくじりをしないと、本当の意味で人を見る目は養われないものなのだろうか……



怖い話であると同時に、よくある話であり、女性にはとくに読むのをお勧めしたい漫画。

男性に対して、一種の苦手意識を持っている女性の葛藤を余すことなく描き切り、なおかつ、母の影響を脱し、自らの意志で歴史を動かしていく力強い姿も楽しめます。

ともかく心理描写が巧みで、あくまで漫画なのですが、史実もこうであったのかな、と思わせる強い説得力。

いや、男性とか女性とか普段から意識しないで生きているけど? という人にも、上質の史劇としておすすめです。


中央公論社から文庫版全4巻が出ています。

女帝が重祚するシーンは、何度読んでもスカッとします。

チョコレートコスモス 恩田陸

 作者があとがきで書いているとおり、「ガラスの仮面」のオマージュにして、オーディションシーンに重きを置いた作品。

模倣の天才、佐々木飛鳥と、芸能界のサラブレッドにして実力派女優の東響子を軸に、ドラマは展開していきます。

 


飛鳥が、なかなか曲者で、おそらくわざとなのでしょうが、彼女が舞台で「おどろきの演技」をするさいに、彼女自身の心情がわからないように記述されています。

しかも、天才であるという前提があるがゆえ、飛鳥は応援しづらいキャラクターとなっています。

北島マヤが、天才であるけれども、舞台を降りるとダメ人間、という愛嬌のある設定とは、ちょっとちがう。

飛鳥も、ちゃんと過去の学生時代の様子とか、長く記述されているんですが、舞台での演技が特異なもので、どうしてそれをしているのか、という心情描写がないだけに、なんだか得体のしれない少女、という印象が濃くなっています。


それと、「ガラスの仮面」の紅天女をめぐる演技合戦のほかに軸となっている恋愛要素のようなものは、この作品では、(続編があるらしいので、そこで描かれるかもしれないですが)出てきませんので、そこが、決定的にちがうところ。

なので、「ガラスの仮面」で紫のバラのひとはどうでもいいから、舞台の話をはよ、と思っていた方にはぴったりな本作。


ちなみに、わたしは姫川亜弓派ですので、今作も東響子に惹かれました。

根性のある地に足のついた人を読むのは気持ちがよいです。

東響子が誇り高いばかりでなく、嫉妬によっても動くところがいいです。

ネタバレになるので詳しく書けませんが、嫉妬によって動いた結果がおもわぬことに、という胸のすく展開→どんでん返し、というのも、また、すごいです。


一方の飛鳥は、短期間でレベルの高い演技を披露できるまでになった天才なんですが、そこがなんだか人間らしさがなくて、危なっかしいといいますか……その「危うさ」を、もちろん作者は見逃しておらず、しっかり書き込んでいるところもポイントが高いです。

人々の形態模写から演技をはじめた飛鳥。

この模倣者という点で思い出すのは、「ガラスの仮面」よりむしろ「アラベスク」のほうでした(なつかしいでしょ? 山岸凉子先生の大傑作バレエマンガ)。

「アラベスク」の主人公のノンナは努力する天才で、泣いて泣いて、泣きつくしてそれでも努力して高みに到達する、努力をやめない人。

ライバルとして第二部に配されるヴェータという少女は、徹底した模倣者で、どんなダンサーの踊りもみごとに再現できる。

けれど、模倣者の哀しみで、「自分の踊り」ができない。

エリート学校で一流の教師に教わってきたノンナとは対照的に、地方在住の独習者であったがため、徹底した模倣者になるほかなかった、という設定で、「アラベスク」の作品のなかで、なかなかシビアな退場の仕方をします。


佐々木飛鳥の場合、作者はこの模倣者の哀しみをわかっていて、それをなお越えさせようとしているところがいいです。

そこが、次作への期待につながっているところも、いいなあ、と思えるところ。

もしかしたら、飛鳥は本能と勘のまま自然にできていた演技について「考える」ようになってしまい、混乱の深みにはまってしまうかもしれない。

その危険もはらみつつ、未来へ歩き出す。

さあ、これからどうなる? と、ドキドキしながら続きを待てるところも面白い。


あれ、なんだかんだと飛鳥にも感情移入しているんだなあ……


個人的には、東響子が「欲望という名の列車」の舞台のうえで、ヒナギクを幻視するシーンがすごくぞくぞくしました。

さらに畳みかけるようにして、響子の相手役として舞台に飛鳥が登場!

そしてさらにヒナギク! ヒナギクの二段重ね!

なんのこっちゃ、というのは、読んでのおたのしみ。

厚めの本ですが、退屈しませんでした。

早く続きが読みたいなあ。

国境の南、太陽の西 村上春樹

不満のない生活を送りながらも、どこか満ち足りないものを抱えている主人公のハジメは、初恋のひとだった幼なじみと再会する。

しかしその幼なじみの「島本さん」は謎めいていて、既婚の主人公は島本さんに惹かれていくものの……というドキドキの恋愛小説。


※ここからネタバレあり※


この小説には四人の女性が出てきます。

「雨音はショパンの調べ」の世界に出てきそうな謎の美女でハジメの幼なじみ・島本さん。

ハジメの良妻・有紀子。

ハジメが学生時代に傷つけてしまい、その後、病んでしまった悲しい女性・イズミ。

ハジメの娘の幼稚園の送迎で顔を合わせる260Eに乗った女(名前は記載されず)。


終わり方がねえ、非常にもやもやーっとする終わり方で、ハジメと同じように、朝が来たけれど、どうすりゃいいの、という感覚を味わえました。

そりゃあ、あんな不可思議な状況に放り込まれれば、だれだって身動きできなくなる。

謎すぎる島本さんの行動とその背景、消えた十万円の謎、唐突にあらわれたタクシーにのったイズミの謎……

謎が閉じない、このモヤモヤ感。


でもって、このハジメが、いかにも村上作品の主人公らしい平板な人物で(平凡ではない、いい暮らししてるもの)、この人しかいない、というくらいに島本さんを愛していながらも、必死になって彼女のすべてを得ようと努力することはないところが、またモヤモヤ。

いや、いい大人なんだから、そんなにガツガツしないものなのだろうけれど、行動しないやつだなあ、と。

そこがリアルで、リアルさの対として島本さんにまつわる不可思議な謎が存在するところが、この小説の面白さであり、村上作品の魅力なのだ、といったら、そうなんですけれども。


主人公が上品なジャズバーの経営者で、さして生活に苦労している感じがないのも、恋愛を際立たせるための装置なのだと考えると、なるほど、そういう設定しかないな、とも思いました。

だって、主人公が大衆居酒屋の大将で流しの歌手がやってきては「雨の慕情」を唄っていくとかだったら、なんか違う話になっちゃいますよね(あれ、面白そうだぞ)。


ミステリーファンには、「謎が解決しないぞ!」と怒りを買いそうな本作。

ラストの一行が「誰か」になっているのがさらにモヤモヤ感を増幅しています。

「誰か」って、イズミが復讐しにきたんじゃない? というのは、ホラーすぎるでしょう。

わたしは素直に有紀子だろうなあと思いました。

って、そういう風にいろいろ想像できる余地を残してくれるところもいいところ。


で、妄想してみました。

この小説をもとにノベルゲーを作ったら面白いのではないか。

ノーマルエンド→有紀子ルート

バッドエンド→イズミルート

隠しルート→260Eの女ルート

トゥルーエンド→島本さんルート

というふうにエンドが4つあって、3つのルートをクリアしないと、トゥルーエンドにたどり着かない構成になっているとか、どうでしょう。


有紀子のルートは小説通り。

イズミのルートは、「有紀子と和解しない」を選択するとたどり着くルート。

島本さんルートは、「島本さんを尾行する」→「十万円を受け取る」の分岐で「受け取らない」を選択し、別荘のルートで一夜をともにしたあと、「眠らない」を選択すると出てくるルート、とか(十万円の処遇については、異論もありそうですね)。

あー、見たいなあ、島本さんルート。

謎が解ける瞬間を味わいたい!


というか、この小説は、あくまで「有紀子ルート」をベースにした前振りで、じつは村上氏の頭の中には「トゥルーエンド」ともいうべき「島本さんルート」があるのかもしれない!

発表はされないだろうけれどもね、あったとしても。

いや、ちがう形で発表してくれないだろうか。


いろいろ余韻を残す小説で、妄想も暴走。

とっても面白かったです。

(真面目に考察するならば、島本さんと一夜をともにしたことをトリガーに、ハジメはちがう世界線に移動したのだ、とも考えられる……ってシュタゲか、それは)

知的生活の方法 著・渡部昇一 講談社現代新書

 渡部昇一さんの子どもの頃の愛読書は、「三国志」(演義のほうですね)や冒険活劇小説だったそうです。

「三国志」は血沸き肉躍るたのしい史劇ですし、多彩な登場人物が楽しいですし、漢籍の知識も手に入るし、まさに読書の楽しみをぞんぶんに味合わせてくれる一冊です。

読書の原点が「三国志」というのは、ブログ主も同じなので、まずそこから共感しました。

「三国志」に読書好きの土台を作ってもらえたのは、幸せなことでした。


やがて成長した渡部昇一さんは、夏目漱石の本を読むことになるのですが、これが最初はピンとこなかったという。

ところが、東京に馴染んできて、漱石の実際に暮らしただろう生活が「わかった」ことで漱石の著作群も「わかった」という体験をします。

なるほど、いまは「合わない」「読むのが難しい」本も、なにかのタイミングで読める時が来るかもしれない、という希望をもらえました。

たしかに、歴史書をひととおり読んだあと、その時代に関連する小説を読むと、あ、なるほど、そういう時代の雰囲気を受けて書かれたのか、と腑に落ちることがあります。

それが「わかる」ということなのですね。


小さいエピソードですが、時代小説を愛好されていた渡部昇一さん、年をとるにつれ、たくさん再読していた時代小説が少しずつ減り、最後には岡本綺堂の「半七捕物帳」が残った、ということです。

それを読んでも、「あー、わかる、わかるわー」と共感しました。

「半七捕物帳」こそ時代小説の至高! と信じてやまない一匹がここにもいます。

といいますか、やはり自分の知的レベルが上がったり下がったりするのに合わせて、面白いと思える本も変わっていくものなのですな。


この「知的生活の方法」には、氏の読書遍歴だけではなく、知的生活を営むための空間づくりのノウハウも掲載されています。

さすがに、時代を感じさせる記述もありますが、いま読んでもなるほどな、と思うことが多いです。


欧米には日本のようにじめじめした夏がない。

クーラーが普及していなかった昔は、ばてやすい夏は勉学なんて二の次になってしまっていた=夏があるぶんだけ欧米人に勉学で後れを取っていた。

そこで負けてはなるものかと、クーラーを書斎にいれたら快適で……というエピソード、ほんとうにそのとおりですよね。

ブログ主も今年は部屋のクーラーが壊れまして、寝室兼書斎でなあんにもできませんでしたもの、暑くて。

知的生活を送るためには、心地よく、静かで、なおかつ手元にすぐ資料を置ける環境が望ましいとのこと。


図書館との付き合い方(なんと、教員時代に図書館に住んでいたという話! うらやましい)や、読書カードの作り方、気になった情報をカードにして管理する方法や、そのいい面・悪い面なども惜しみなく書いてあります。

カードはたしかに面倒くさそうですねえ、始めたら楽しいかもしれませんが。

集めた情報をいつ整理するのかにも悩みそうな感じ。

そのあたりの利益・不利益についても書いてあります。


でもって、知的生活=書斎の虫、ではダメ、ということもはっきり書かれています。

哲学者カントを引き合いに、他者と活発な議論をして知的刺激を受けること、それから、毎日、散歩に出かけて脳の活性化をはかるといい、と書かれています。

ネットで議論しているだけじゃダメなんでしょうねえ、きっと。

相手の顔の表情や、言葉以外のニュアンスを汲んで、ああだこうだ、と議論するのはたしかに脳をフルに使います。


まとめ

渡部昇一さん自身の面白いエピソードも織り交ぜて、わかりやすく「知的生活を営むにはどうしたらよいか」を活写した良作です。

本を読もう、知識を得たら実践しよう、ということを勧める本が多くて、まさにそのとおりなんですが、さらにそこから、「どう読んだ本を血肉にするか」、生活にまで踏み込んで書かれている本です。

心も新たに! 牧知花の本棚、再開。

 みなさん、こんにちは。牧知花(まきちはな)といいます。

仙台在住で、オリジナルの創作小説の制作を中心に活動をしている同人作家です。

このたび、メインブログ「牧知花の古今東西☆歴史こぼれ話」の開設にあわせて、「はてなブログ」より引っ越して、読書感想ブログをBloggerさんで開設することになりました。

管理人の牧知花の読書量は、年に約150冊(マンガ、雑誌は含めず)です。

好きな作家さんは恩田陸、岡本綺堂、村上春樹、モンゴメリ、陳舜臣、川原礫、江戸川乱歩、などなど、さまざま。

こちらで扱う本は、ジャンル不問、ともかく読んでいてわくわくした、ドキドキした、ためになった、唸らされた、そういう本ばかりです。

みなさんの読書の参考になればさいわいです。

どうぞ、くつろいでごらんください。